魯迅に見る立身出世主義の影響 その4

また、日本では大正時代に、「知識人」をあらわすフォーク・コンセプトとして「賢人」、「学者」、「有識者」などに替わり「インテリ(ゲンツィア)」や「知識人」の言葉が広く人口に膾炙しました。これはロシア革命とマルクス主義による影響が大きいと思われます。この用語は学歴エリートの経済的困窮の中で、彼らのような無産有識階級の文化貴族性に光明をもたらしたものであり、彼らの尊厳をなんとかして維持させようとしていた・・・という意味合いが強いのですが、これは中国においても同じだったようです。魯迅先生が初期文学活動において先覚者による人心の啓蒙を目指しているように、無知蒙昧な民衆を目覚めさせることこそが知識人の使命であると考えることで、彼ら「知識人」自身の価値を高めようしていたとも考えられます。

魯迅先生は、世界という舞台における生存競争から中国の民衆が脱落することを恐れ、時には辛辣な言葉を持って同国人を批判していましたが、そこには彼の愛国者としての気概が伺えます。魯迅は中国の伝統的社会を否定的なものととらえており、作品の中ではその弊害に焦点を当てることが多いわけですが、そこには日本での留学生活で得た立身出世主義の思想が影響していたのではないでしょうか。それと同時に、魯迅は当時の国際社会における中国の危機的状況をいち早く察知し、日本が身分制と封建制を否定し、立身出世主義を掲げることによって近代化と富国強兵をなしえたように、儒教に基づく中国の伝統的社会制度を否定することによって中国社会そのものを進化させようとしたのです。

Leave a Reply