魯迅に見る立身出世主義の影響 その2

厳復(1854−1921)がダーウインの弟子であるハックスレー(1825−95)の『進化と倫理』を中国語に翻訳し、1898年に刊行したのが『天演論』(1898年刊)です。魯迅先生はこの進化論を信奉し、中国社会もやがては生物のように進化していくに違いないと期待し、特に倫理観の進化に期待を寄せていました、彼がこうした社会進化論の考えを持つに至った経緯としては、近代日本に蔓延していた立身出世主義の影響があったのではないかと考えられます。

無論、中国の伝統的な思考様式の中に、ハックスレーの進化論と似通ったところがあったという指摘もあるわけですが、進化論が日本を経由して中国に流入したのと『天演論』の発刊はほぼ同時期であり、中国において進化論が受容されるのは日本より後のことです。魯迅先生は1902年4月から7年間日本へ留学しましたが、この間に読んだ文学から明治期の日本社会に広く蔓延していた立身出世主義の影響を受けたと考えることもできるでしょう。

明治維新以降、日本は他のアジア諸国のように植民地化されることはありませんでしたが、これは欧米列強による支配を単に先送りしただけに過ぎません。欧米列強による支配から完全に逃れ、対等な立場として対応するためにはどうすればよいか。それは階級、身分の差を越えて欧米諸国に追いつくことでした。そのため維新以降、武士や農民といった身分制社会が崩壊し、実力のみが個人の評価を決定付けるものとなったわけです。福沢諭吉の「学問のススメ」やサミュエル・スマイルズの「西国立志編」といった書物が多々読まれ、それまでの社会規範として働いていた身分制社会を根底から覆す潮流となりました。

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