魯迅に見る立身出世主義の影響 その1
この度は、あの有名な魯迅先生について書いてみようと思います。
魯迅先生は日本に留学した際、近代日本において広まっていたた立身出世主義の考えに触れていたのではないかということなのですが、ダーウィンの唱えた生物進化論を人間社会にも適用し、生物と同様、社会自体も一定の方向に進化していくと考える理論が『社会進化論』であり、 19世紀後半にイギリスのスペンサーが提唱したのに端を発しています。近代日本社会はこの理論を立身出世主義という形で取り入れることで近代化と富国強兵を成し遂げたわけですが、魯迅先生も同様に、社会進化論的な思想を抱くことから中国の伝統主義社会を否定的にとらえ、中国社会の進化、特に倫理面における進化への期待を寄せていたと思われます。
魯迅先生は『而已集』という作品において、講演活動のため香港を訪れた際に船中で起こった事柄について記述しています。当時の香港はすでにイギリスの植民地であり、英国人に取り入って財を成す、『高等華人』の姿が見られたのですが、大多数の『土地の者』は苦しみに耐えるだけの貧しい生活を余儀なくされていました。魯迅先生は『同胞の手によって』行われた荷物検査に愕然とし、露骨に賄賂を要求する係員たちの姿に、英国の支配下であった植民地香港の縮図を写し見ていたことでしょう。支配者がどう変わろうとも、それに適応して生き延びている『高等華人』は魯迅先生にとって『奴隷』の精神を持った人々というように写ったのです。魯迅先生はこの作品の最後に、『香港は一つの島でしかないが、しかしそれは中国のいろいろな土地の、現在と将来の縮図をそのままに描いている、中央には幾人かの外国の御主人がいて、その配下には若干のおべっかをつかう『高等華人』と手先をつとめる奴隷的な同胞の一群がいる。その他は、すべて黙々として苦しみに耐えている『土地の者』である。苦しみに耐えきれるものは、死ぬまでこの植民地にいるし、耐えられないものは深山に逃げこむ、苗族や猺族が私たちの先輩である』と記し、外国人に媚び諂い、民族アイデンティティを喪失した同胞を厳しく批判しています。こうした無闘争主義と自己満足を魯迅先生は『阿Q精神』と呼び、中国の近代化が遅れた理由の最たるものとして非難しているわけですが、それと同時に、将来は必ず良くなるから、そのために文学を学ぶのだとも考えていました。日本でも、内村鑑三(1861~1930)が、その著書「後世への最大遺物」の中で、文学とはわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから、未来において戦争しようとするのが文学であるとしていますが、魯迅先生が中国人の啓蒙のため文学という手段をとったのも、こうした考えによるものではないでしょうか。
ビタミンアルファ