Archive for the '香港の黒社会' Category

香港の黒社会について その6

月曜日, 2月 12th, 2007

伝統的な黒社会は社会病理としての低所得層・不法滞在者などを組織に加えて勢力を拡大させてきましたが、現在は必ずしもそうとは限らなくなっています。構成員の中には、黒社会をひとつの『会社組織』として見なし、そこで働いているに過ぎないといった考え方をしている者も多いからです。かつては黒社会というと『麻薬・売春・賭博の三毒』などといったアンダーグラウンド的な取引ばかりをしているように思われがちでしたが、現在では映画会社に代表されるように、ひとつの企業体として社会的に認知されているものもけっこうあります。

 また、構成員自体の高学歴化や高所得化も進んでおり、一般人と黒社会構成員との境界が以前にも増して曖昧になってきていると言えるでしょう。(ちなみに、香港では黒社会の構成員を名乗っただけでも罪に問われ、初犯でも罰金3万香港ドル、禁固3年。累犯なら罰金10万香港ドルに禁固7年になります)

 『黒社会 中国を揺るがす犯罪組織』(草思社、1997年)の著者何頻と王兆軍によると、-現代の黒社会(香港及び台湾、大陸)においてもその価値観は一般人と同じであり、金持ちになり、名声を得ることを切望している。彼らは黒社会の構成員であることを自覚している。会社を設立・経営したり、政府高官や警察官と接触したがるのも、組織を拡大させると共に自らの劣等感を払拭し、虚栄心を満足させるためである-ということですが、黒社会はすでにこうした伝統的な価値観から脱却しつつあるのかもしれません。おかしな言い方ですが、それは『古き良き時代』の黒社会であり、現在の黒社会はもっとビジネスライクな考えでやっているような気がします。つまり地下社会、非合法組織と言えども、ビジネスの場として与えられたうちのひとつに過ぎないということです。

 これもみな資本主義経済万歳でやってきたおかげなのでしょうが、現在はまさしく『秘密結社』→『マフィア化』に続く第三期の黒社会が形成されようとしている時期なのかもしれません。

香港の黒社会について その5

日曜日, 2月 11th, 2007

先日の続きとなりますが、さて黒社会にとっても、1997年の香港返還はひとつの大きな転機でありました。彼らも他の資本家同様、財産や資本を海外へ移転させようと試みた時期があったのです。特にカナダや北米は昔から移民に対して比較的寛容な国でしたから、チャイナタウンをはじめとする華人コミュニティも古くから発展しており、多くの香港人(黒社会含む)たちの移民先として選ばれました。
 しかし、この移民ブームとともに、カナダ・北米地域での黒社会による非合法活動がさらに活発化したことも事実です。その中でも麻薬(ヘロイン)の密売が飛躍的に増加しており、1974年の香港警察発表では、『小規模な鴉片窟と限られた範囲内での密売を行っているに過ぎない』と言われていたものが、グローバル化の進展とも相俟って、返還前後は国際的な麻薬販売網を伸ばしてきたのです。ただ、彼らの根城であった香港自体が元々経済的に発展した地域でしたから、黒社会も完全に香港から離れ、海外に拠点を移すことに対してはわりと消極的でした。現在はもうすでに移民ラッシュなど昔の話でしかなく、再び香港を拠点とした活動を活発化させており、特に大陸の黒社会との連携が懸念されています。

 一般的には『返還以降おとなしくなった』と言われる香港の黒社会ですが、むしろ、社会の表層に現れなくなったといった方が適切かもしれません。つまり、地下組織が更に地下深くへと潜行しているということです。近年は犯罪の手口も巧妙になってきており、まさしく合法と非合法の境界線上でしのぎを削っている状態であると言えるでしょう。
 
 しかし従来のような『組織』としての黒社会の在り方自体が、徐々に変化しつつあることも確かです。『ヤクザという生き方 中国人マフィア来襲』(溝口敦・森田靖郎他著、宝島社文庫、2000年)にてジャーナリストのインタビューに答えていた黒社会『14K』の大老によると(このインタビューが信憑性のあるものだとしたら、ここで参考にする価値はあるでしょう)、黒社会というひとつの『組織』としてのまとまりや人脈ネットワークが形骸化しつつあり、
構成員ひとりひとりにまで目が行き届かなくなってしまったと言うことです。
確かに最近では『香港爆窃團』(宝石店強盗や高級車泥棒を主とし、短期間のうちに荒っぽい方法で金を稼ぐのが彼らの特徴です)のように個人が引き起こす犯罪が増加しており、構成員が独自の人脈ネットワークにおいて非合法活動に手を染めるケースが目立っています。血液を回し飲みすることによるHIV感染を恐れ、また時間的な余裕のなさから参入儀式をどんどん簡素化していったことも、組織としての一体感を欠如させる一環となったのかもしれません。

 そして何より大きな要因は、『組織』としての利益よりも個人のそれを優先したいという価値観が黒社会内部にも広まっていったことが挙げられます。伝統的な参入儀式の簡略化はもとより、個人的利益の優先は組織内部での人間関係を不明瞭なものとさせ、組織の一員としての意識を形成させづらいからです。

香港の黒社会について その4

土曜日, 2月 10th, 2007

さて、香港の黒社会はどのようにして『新血』、つまり後継者となる人材を確保しているのでしょうか。これについては、歓楽街で不良少年や家出少年などに声をかけて仲間にする、といったイメージが先行していますが、それよりも香港においては教育の場における黒社会の影響力の強さの方が深刻な問題となっています。最近では、青衣やチェンワンなど、郊外新興住宅地域での勧誘活動が活発化しているとの報告もあり、学校関係者と警察による指導がなされています。また、黒社会の息のかかった学生(黒学生)が他の学生を仲間に引き込んだり、組織の名を利用して金品を巻き上げたりといった事件も見受けられます。

黒社会が青少年に目をつける理由としては、
1・少年ということで、大人よりも罪が軽くなるため。
2・将来の人材確保のため。
3・青少年たちの間にある、『黒社会に対する憧れ』を利用できるため。
4・非合法活動を行うにあたり、少年少女だと相手の警戒感が緩みがちになるため。
などの点が挙げられるでしょう。

日本の暴力団は暴走族、ギャング団を将来の構成員として仕立て上げるやり方をとっているようですが、逆にこれらの非行グループがフィルターとなるためか、教育の場に直接暴力団の手が伸びてくることはあまりないようです。しかし香港の場合、住宅事情の問題から一般学生も不良少年も一緒くたにならざるを得ないといった面があるため、黒社会の介入も日本と比べて容易であると思われます。特に3番などは、教育署が香港の出版社や非黒社会系の映画会社に対して「黒社会を不必要にカッコよく見せるような映画を作ったり、漫画を描いたりするな」と指導しているほどです。といっても、映画会社の大半は黒社会の経営で貴重な資金源となっていますから、あまり意味がないのかもしれません。

香港の黒社会について その3

金曜日, 2月 9th, 2007

一方、香港という都市が地の利に恵まれていたことも、非合法組織が発展した理由のひとつとして挙げられます。1842年、イギリスが香港島を割譲した際には、『もらっても仕方が無いほどの不毛の地』と評したと言われますが、なにがなにが、今じゃあ旧宗主国を凌ぐ勢いです。ここは多数の華僑が移住した地域(主に東南アジアとアメリカ)への中継地点であることから、海外の組織に資金を送金したり、蛇頭による不法入国の手引き等がしやすかったと言われています。さらに、関税やその他の税率も他の諸国と比較しても低く、物資の運搬や人員の輸送にも好都合な条件が揃っていました。よってマネーロンダリング(清洗黒銭)も容易に行うことが出来る環境が整っていたため多額の資金が用意しやすく、こうした経済政策のあり方も組織の拡大につながったのだと思われます。

マネーロンダリングは非合法組織の運営には欠かせない要素であり、特にお隣のマカオではカジノ(賭場)がその格好の舞台となっているそうですが、香港は各種の法的規制が緩く、会社の設立や運営などが比較的容易であったがためにここまで発展してこられたという経緯があります。よって、今から規制でがんじがらめにすることはそのまま香港という街が持つカネ・ヒトの誘引力を削ぐことへと直結してしまいますから、ただ単に法律を厳しくしたり税率を上げればよいというわけではありません。香港政府が長年抱えてきたジレンマであり、解決の難しい問題だと言えます。

香港の黒社会について その2

木曜日, 2月 8th, 2007

黒社会の歴史を遡ると、それは『反清復明』を唱える政治結社までたどり着きます。最近では少林寺から発展したのではないかという説もあり、後の時代になって創作された逸話もわりとあるようです。

ただ、現在のような非合法組織としての黒社会が香港の歴史に直接関わってくるのは第二次世界大戦以降ではないでしょうか。資料に乏しいので確証はありませんが、第二次世界大戦中、日本軍による香港統治(『三箇年八箇月』)時、治安維持を名目として反日分子を取り締まる権限を与える代わりに、黒社会に関する警察当局の資料を日本軍側が隠滅してきた経緯があり、これが戦後になって、黒社会が活動しやすい素地を作り上げたという指摘もあります。

また香港政庁内部における収賄の横行により、黒社会の非合法活動がカネによって見逃されていたという事実があります。色々な要因が複雑に絡んでいる中でも、これがもっとも直接的なものではないかという気が致しますが、いかがでしょうか。
60年代~70年代にかけての政府・警察の汚職は日常茶飯事で、黒社会との蜜月関係にありました。『香港の政庁で汚職が無いのは気象庁だけ』と揶揄されるほどで、マーティン・ブース(黒社会に詳しいジャーナリスト)によると、1970年には、香港警察のうち3分の1が黒社会の構成員若しくは何らかの繋がりを持つ関係者であったという証言があるそうです。

そのため、香港政庁は1974年『廉政公署』(Independent Commission Against Corruption ICAC)を設立しました。ここは主に官僚・公務員の汚職を追及する組織です。嬉しいことに廉政公署の設立以降は汚職が激減しました。これについては以下のようなデータがあるので参考にしてください。
―――Cameron, N (1991),『An Illustrated History of Hong Kong』, Oxford University Pressによると、「1977年3月には、ICACは少なくとも23の腐敗組織(corruption syndicates)を調査中であったが、そのうちの18は警察が絡んでいた。7月までには、ICACは総督に対して大組織はもはや存在していないと認知されている、と報告するようになっている。火種とされてきた巣窟は、このように急激に浄化された。(p.314)」――
(『シンガポールと香港の反腐敗政策』杉谷滋編『シンガポール』御茶の水書房、1999年 関西学院大学大学院経済学研究科 小西砂千夫ホームページより 引用 http://www.stylebuilt.co.jp/konishi/)

ということで、要するにこのICACが設立されてからというもの、警察も黒社会に対して強硬姿勢を見せていたわけですが、近年は再び馴れ合いの関係に戻りつつあるのではないかとの新聞報道もあります。返還以前は、黒社会構成員との親密な関係が形成されないようにとの配慮から現場の指揮官に外国人を投入していたのですが、97年の返還によって彼ら外国人指揮官の多くが帰国してしまったからです。そのため、警官と黒社会の癒着が再び懸念されています。

香港の黒社会について その1

水曜日, 2月 7th, 2007

みなさまおなじみ、香港といえばマフィアということで、ここで香港の黒社会(マフィア)についてちょこっと書いてみようと思います。

一般的に『黒社会』のことを『三合会(トライアド)』と称したりしますが、これは元々『洪門』という中国の秘密結社から分かれていた『天地会』、『三点会』、『三和会』を指す言葉でした。現在では『14K』、『新義安』、『和勝和』の三大組織及びその他の非合法組織の総称という意味で、黒社会そのものを意味する言葉ともなっています。

困ったことに、香港は『黒社会の首都』と呼ばれるほど彼らの活動が活発な都市であると言われていますが、このようなイメージが根付いたのはだいたい1960年代頃でしょうか。60~70年代には、『香港=悪の街』というイメージが確かに存在していました。例えば、『香港 その現状と案内』(姫宮栄一著、中公新書、1964年)の冒頭『”ホンコン”のイメージ』にはこう書かれています。(以下引用)

――香港についても、一方的に固定してしまったいくつかのイメージがある。たとえば「ギャング、スパイの街」といったイメージ。香港は、こわいところ、物騒なところであると信じているのだ。これは、新聞や週刊誌の”香港麻薬ルート”の誇張された報道や、日本製のスパイ映画やギャング映画からの類推らしい―― 

黒社会は香港の経済発展に伴って、特に映画産業、風俗、娯楽などの方面で多大な利益をあげ、組織としての資金力を増大させました。ことの是非はともかく、香港映画が有名になったのは、黒社会の資金力と組織力あってのものだと言っても過言ではないのかもしれません。

では、香港の黒社会構成員は一体どれくらいいるのでしょうか。ところが香港では「俺は○○会の構成員だ」・・・と口にするだけでも罪になりますし、ぶっちゃけ調べようのない数字ですので、実際のところ正確な数字を把握することは不可能です。

よって「・・・~といわれている」くらいにしか書けないのですが、1994年時点では正規メンバー約10万人+準メンバー=約20万人程度だったと思われます。一方、兵海雄著『香港黒社会』によると、正規メンバー約20万人+準メンバー=約40万人程度だという調査結果もあって、調べた人や機関によって数がバラバラです。少し時代は下りますが、1960年には、香港の全人口300万人のうち6人に1人が黒社会の構成員だったとも言われています。